動画元:Nobuyuki Tsujii in Switzerland 2014 — Part 4
動画投稿者:M. L. Liu
【 投稿記事一覧 】
【 辻井信之さんの動画記事 】
動画について
御紹介した動画は、2014年に辻井伸行さんがスイスのルツェルンにあるリヒャルト ワーグナー記念館を訪問したときに撮影されたものです。
【リヒャルト ワーグナー記念館の場所】
「イゾルデの愛の死」について
「イゾルデの愛の死」は、楽劇「トリスタンとイゾルデ」の中で演奏された曲です。
【楽劇「トリスタンとイゾルデ」とは】 楽劇「トリスタンとイゾルデ」はワーグナーが作曲と台本を手掛けた作品で1857年から1859年にかけて作曲され、1865年に初演されました。 |
ワーグナーについて
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ワーグナーの本名は、ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner)といいます。
ワーグナーは作曲家と指揮者の他、思想家や文肥塚としても活動しており、19世紀後半のヨーロッパに影響を及ぼした文化人の一人でもあります。
ワーグナーは1813年5月22日に現在のドイツのライプツィヒで誕生しました。
【ライプツィヒの場所】
ワーグナーの音楽経歴
ベートーベンに感動したことが切っ掛けとなり、ワーグナーは15歳の頃に音楽家になることを志ます。その頃からピアノ作曲を作曲するようになりました。
1831年、18歳のワーグナーはにライプツィヒ大学に入学しますが数年後に中退してしまいます。大学でワーグナーは哲学や音楽を学んでいました。
また、聖トーマス教会のキリスト教音楽の指導者だったテオドール・ヴァインリヒに作曲の指導を受けています。
【テオドール・ヴァインリヒについて】 テオドール・ヴァインリヒは、ドイツの弁護士で音楽教師もおこなっていた人物です。 |
以降、1832年に「交響曲第1番ハ長調」を完成させたり、ヴュルツブルク市立歌劇場の合唱指揮者になったりと音楽家として活動していきます。
ワーグナーの亡命と晩年
1849年、ワーグナーは36歳前後のときにドイツ三月革命の革命運動に参加したことにより全国で指名手配されてしまいます。
そのためドイツで生活することができなくなったワーグナーは、リストを頼ってスイスに移住しました。この亡命生活は1858年までの9年間にもおよびました。
【リストの詳細は下記の記事を御覧ください】
1883年2月13日、ヴェネツィアでの旅行中に以前から患っていた心臓発作が起き、69歳で亡くなりました。
動画を観て思ったこと
御紹介した動画では辻井伸行さんが作曲家のワーグナーが生前住んでいた家を訪問する様子が撮影されていたので、ワーグナーが生活していた当時の様子や、奥さんのコジマさんへの気持ちが伝わるような写真を観ることができ、貴重な動画の一つだと思いました。
まとめ
御紹介した動画はいかがでしたか?
ワーグナーの人生は革命に参加したり、亡命したりと波乱万丈な部分もありましたが、晩年は奥さんと幸せな生活を送りながら、幸せな最期を迎えられたのかなと思いました。