この記事はインターネット上にある進撃の巨人の原作者・諫山創(いさやまはじめ)さんのインタビュー記事を基に、諫山創さんの半生をまとめたものです。
出生と家族について
諫山創さんは1986年8月29日、大分県日田市大山町で父親の諫山光夫さん・母親の諫山恵美さんの子供として産まれました。
諫山創さんの実家は代々続く梅を育てる兼業農家で両親は共働きで、父親は家具メーカでデザインや営業の仕事をしていました。両親が働いていたため祖母が幼い諌山創さんの面倒をみていました。幼い頃の思い出の一つに、畑仕事中のお婆さんの横で虫を「面白い」と思いながら眺めていた記憶が残っているそうです。
ちなみに諫山創さんの母親は諌山創さんが産まれる前後くらいまで油絵を描いていたそうです。
幼児期から保育園まで
諫山創さんが育った大山町は周囲を山に囲まれた盆地の町です。その環境のため諫山創さんの一番古い幼い頃の記憶は「家の窓から景色を見ると、緑の壁みたいだった」というものでした。なんとなく「自分は緑の壁に囲まれた場所に居るんだな」と思っていて、それが普通のことと感じながら生活していきます。
保育園に通っていた頃から大きな生き物が大好きで、怪獣の絵ばかりを描いていました。その絵を見た保母さんに褒められ、諫山創さんは絵を描くことに興味を持ち始めます。
小学生時代
現在、日田市の行政機関「大山振興局」が入っている建物は以前、小学生時代の諫山創さんが通っていた旧大山小学校の校舎でした。旧大山小学校は2012年に閉校し、旧鎌手小学校の地で開校した日田市立大山小学校に統合されました。
小学生時代の諫山創さんはジャンプを読み、レンタルビデオ店からゴジラなどの特撮もののビデオを借りて観るのが好きな子供でした。特撮もののビデオの影響から「大きい生き物が街の中で戦っていたら絶対に面白い」と思うようになっていきます。そして「人間が大きい生物をカッコイイと感じる理由」について考えていました。
<諫山創さんが考えた「人間が大きい生物をカッコイイと感じる理由」> 世界中で恐竜のような「大きな生き物がカッコイイ」という共通感覚がある。そのような「大きな生き物がカッコイイ」という共通感覚があるのは、昔の人間が捕食される側だったからだと思った。
捕食側から逃げるときにドーパミンなどの脳内快楽物質が分泌されることで冷静に逃げることができた。その頃の遺伝子が影響して、大きな捕食者をカッコイイと感じたりするのではと考えていた。 |
諫山創さんの小学校生活
小学生当時の諫山創さんは学校が終わると主に毎日外で友達と遊んでいて、通っていた小学校近くにある日田市大山公民館に行ったり、夏は川で泳いで過ごしていました。
一方、諌山創さんは小学校6年までサッカークラブに入っており、サッカークラブではネガティブな経験をし、その経験は自身の思考に影響を与えたと諌山創さんは語っています。
<サッカークラブ時代の出来事・思い出>
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上記のような小学生時代を過ごしていた諫山創さんのイメージを、クラスメイト達は小学生時代の文集の寄せ書きに書き残しています。
<文集の寄せ書きに書かれた諌山創さんの印象>
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小学生時代の諫山創さんは自分でも「自分は周囲に比べて変わっている」と実感していたので、自分がイジメの対象にならない方法を考えながら日々を過ごし、無事にイジメを回避して小学校を卒業することが出来ました。
中学生時代
中学校に進学した諫山創さんは、家の離れの一室を自分の部屋として与えられました。その部屋で諫山創さんはゲームにはまり、週刊少年サンデーで掲載されていた『ARMS(アームズ)』(著者:皆川亮二・原案協力:七月鏡一)に影響を受け、本気で漫画家を目指そうと決心し漫画を描き始めます。
本気で漫画家になることを決心し漫画を描き始めた諫山創さんですが、この頃は「自分が漫画を描いていることを人に知られると恥ずかしい」とも感じていたため、自分が漫画を描いていることを誰かに離したり、描いた漫画を人に読ませることはありませんでした。この気持ちは高校生になっても消えず「こんなに恥ずかしいなら漫画家になれない」と絶望的な気分になったこともあったそうです。
そして諫山創さんは中学生活を送る中で「自分とは何か?」と考え始めるようになります。そして同時に周囲から「面白くなくなった」と言われるようになっていきます。
高校生時代
諫山創さんは大分県日田市吹上町にある「大分県立日田林工高等学校建築学科」に入学し、自宅から原付バイクで毎日約40分かけて通っていました。
諫山創さんの地元は田舎だったため、幼稚園から中学までずっと一緒の友達と学生時代を過ごしてきましたが、高校進学と共に全員が違う高校に進学してしまいました。けれども実家が近かったので違う高校に進んだ友達たちとは付き合いが途切れることはありませんでした。
高校入学後に美術部に入部しますが幽霊部員しかいなかったため放課後は部室で一人でデッサンして過ごし、入部2か月目で退部してしまいます。
高校生の諫山創さんは「GANTZ」や「ベルセルク」を読んでいたそうです。
漫画の画材で本格的に漫画を描き始める
高校2年生の頃、諫山創さんは「ちゃんと漫画を描いて雑誌に投稿しないと」と思い始めました。そこで諫山創さんは福岡県まで漫画の画材を買いに行き、漫画用原稿用紙にコマ割りをして本格的に漫画を描き始めます。漫画を描き始めた当時の諫山創さんはGペンの使い方も分からなかった状態だったそうです。
高校生当時は登場人物がサイボーグに変身するヒーロー漫画を描いていた諫山創さんは、高校3年生のときに一作品を始めて完成させ出版社に郵送で投稿します。しかし残念ながら結果を出すことは出来ませんでした。
父親に漫画家の夢を否定される
中学生時代と同じく、この当時の諫山創さんも「自分が漫画家になれない可能性が高く、絵を描くこと以外に得意なことが無い自分を誰かに知られて、他人に自分を下げた目で見られたくない」という思いから、自分が漫画を描いていることを誰にも喋らず漫画制作を続けていました。
ある日、自室の机に置いていた描きかけの漫画原稿を父親に見られてしまいます。自分の息子が漫画を描いていることを知った父親は「お前は漫画家には絶対なれないから、漫画家なんて目指すな」と諫山創さんを叱りました。
父親に漫画を描いていることを叱られた諫山創さんは「父親に知られて恥ずかしい」という思いから体が硬直して何も言い返すことが出来ませんでした。
そのときから諫山創さんの心の中で「漫画家になる夢」と「漫画家になることに反対する親」との葛藤が始まります。
誕生から高校時代までを振り返る
諫山創さんはインタビュー記事で、子供時代の自分を振り返って語っています。
子供時代の自分について
諫山創さんは子供時代の自分について「学校などでは勉強やスポーツで落ちこぼれだった。何事にも自分は人並み以下なのかもしれないという劣等感を感じていた。そのため自己評価が低かった」
一方で「自分は何かを持っているという根拠の無い自信があった。特に工作や、学校で出された課題の文章を書いているときにそう感じた。」
そして「中学生の頃は普通だったけれど、ある時から普通の自分がイヤになり特別な自分になりたいと思うようになった。そのため意識的に普通ではないことをするように努めようと考えた。例えば学校から帰宅し離れの自室に籠って、人と違う何かを探し続けたこともあった」
自分を変えるために他所の場所に行きたかった
諫山創さんは自己評価が低かったため「この場所ではない違う場所に行けば、今の自分ではない何者かに変われるのでは」という可能性を夢見て、18歳で実際に地元を出るまで「誰も知らない所に行きたい」と常に思い続けていたくらい、地元を出たくて仕方なかったそうです。
そして「そのような欲求不満が無かったら何かを表現する必要が無かったので、漫画を描いていなかった」とも語っていました。
<諌山創さんの情報>
本名 | 諫山創(いさやまはじめ) |
誕生日 | 1986年8月29日 |
星座 | おとめ座 |
身長 | 173センチメートル |
体重 | 47キログラム |
サイト | |
その他 |
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<参考>
- 諫山創bot(twitter)
- マンガ・むかしいま「進撃の巨人-諌山創-」
- Aidoly「諌山創の高校/大学など学歴・生い立ちや家族を総まとめ【進撃の巨人の作者】」
- 進撃の日田スポット「大分県立日田林工高等学校」
- 進撃の日田スポット「日田市大山公民館」
- 進撃の日田スポット「旧:大山小学校(現大山振興局)」
- 大分県日田市「市長の行動2013年4月」
- 進撃の巨人ブログ.COM「【進撃の巨人】諫山創先生のプロフィール<8月29日誕生日>」
- インタビュー ここから 「進撃の巨人 作者 諫山創」
- 【BBC】「進撃の巨人」作者・諫山創さん単独インタビュー 諦めそうになった後
- ミライシアター「進撃の巨人」作者・諫山創
- 【進撃の巨人】諫山創インタビュー 最終話(139話)に向けて考察 作者が語るビデオメッセージ!2019年8月【進撃の巨人展FINAL】
- 『進撃の巨人』すべてはこの男の脳内で始まった――『ダ・ヴィンチ』2014年10月号の諫山創氏インタビューを特別公開!
- 『進撃の巨人』の原点 諫山創×川窪慎太郎 ロング対談 | Febri
- 【人気漫画家に聞く】諫山創先生、連載までの軌跡&キャラクター術
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- 荒木宰さんの新連載「いつか、夜明けの空で待ってる。」を読んだ!
- ハロー大分 諫山先生インタビュー