【日本の古典文学】今昔物語集【現代語訳のあらすじ】「巻十四第三話 紀伊国道成寺僧写法花救蛇語 第三」

この記事は現代語訳「今昔物語集【紀伊国道成寺僧写法花救蛇語(きのくにのどうじょうじのそう、ほくえをうつしてへみをすくえること)】」のあらすじを御紹介しています。

巻十四第三話「大蛇になり天界に生まれ変わった女家主と若僧」

今ではもう昔のことだが二人の僧が熊野に向かっていた。一人は老人で、もう一人は容姿端麗の若者でした。二人は移動の途中、和歌山県の民家に宿泊させてもらうことになりました。民家の家主は独身女性で数人の従者(じゅうしゃ)がいました。

女家主は若僧に対し愛欲の心を持ってしまいます。深夜0時過ぎのこと、女家主は二人の僧が寝ている部屋に行き若僧に添い寝しました。若僧は女家主の気配で目を覚ました。

「私は家に誰かを泊めることはないけれど、あなたに出会ったときに自分の夫にしようと決心して泊めました。決心を実現するために来ました。私には夫がいません。不憫(ふびん)に思ってください」

女家主の言葉を聞いて若僧は驚き、起き上がって言い返しました。

「自分には宿願が合って日々、心身精進を重ねています。今回、熊野権現に参拝することができたのに、このような形で願を破るなど恐れ多いことなので、自分を思うのは止めてください」

女家主は一晩中、若僧を抱き戯れ(たわむれ)続けましたが、若僧は女家主を強く拒み説得を続けました。

「自分は、貴女の言うことが嫌だと言っているわけではありません。今は熊野参りに行かせてください。熊野参りの帰りのときに貴女に随い(したがい)ます」

若僧が約束してくれたので女家主は自室に戻っていきました。二人の僧は夜が明けると熊野に向かって出発していきました。

女家主は若僧が熊野に向かってから約束の日を待ち続けました。若僧を想いながら様々な準備をしながら若僧が戻ってくる日を心待ちにしていました。しかし若僧は女家主を恐く思い、熊野を出発してから女家主の家を避けるために違う道を通って女家主から逃げていきました。

女家主は若僧を想うあまり道に出て行き、行き来する人々に若僧のことを尋ね始めます。その中に熊野から戻ってきたという違う僧がいて「三日前に、その色の着物を着た二人連れの僧は熊野を出ていきました」と答えました。

「若僧は私に会うのを避けるため、他の道を通っていった」そう理解した女家主は怒り、家に戻っていきました。そして女家主は自室に籠ったまま出てくることなく、しばらく後に亡くなります。

女家主が亡くなり従者たちが嘆き悲しんでいると、自室から五尋(ごひろ、一尋は大人が手を広げた長さ)ほどの毒蛇が出てきて若僧の跡(あと)を追っていきました。毒蛇を見た人はその大きさを恐れ、その噂は広まっていきました。

その頃、道行く二人の僧は、ある人から「不思議なことがあります。五尋(ごひろ)くらいある大蛇が早く進みながら野山を過ぎて、こちらに来ています。」という話を聞いた。

「約束を破られたことを知った女家主が、若僧に害を与えるため毒蛇になって追ってきているのだ」と思った二人の僧は走り出し、道成寺という寺に逃げ込みます。「なぜ走ってこられたのですか?」寺の僧たちに事情を尋ねられた二人の僧は、理由を語り助けを求めました。

寺の僧たちが集まり相談した結果、寺の鐘(かね)を降ろして若僧を鐘の中に隠しました。そして寺の門を閉じ、寺の僧と老僧は共に別の場所に隠れます。

暫くすると大蛇が現れました。大蛇は閉まっている門を超え境内に入り込み、本堂を数周回ったあとで鐘つき堂に行き扉を叩き始めた。大蛇は扉を百回以上叩き続け、やがて扉は叩き破られ大蛇は鐘つき堂の中に入っていきました。

大蛇は鐘に体を巻きつけると2時間近く鐘を叩き続けました。その様子を見ていた寺の僧たちは恐がりながら鐘つき堂の四面の戸を開いてみた。すると大蛇は鎌首をもたげながら両目から血の涙を流し、舌なめずりをしていたが、そのうち元来た方向に去っていった。

若僧が隠された鐘は大蛇が発した熱気で焼かれ、今も炎をあげて燃え続けていたので近寄ることが出来ません。そこで少し時間が過ぎてから水をかけて冷やし、鐘を取り去って中を見てみると、ただ灰があるだけでした。若僧は骨も残らないほどの熱により焼失してしまったようだった。共に旅を続けてきた老僧は、これを見て涙しました。

ある夜、若僧を襲った蛇よりも大きな蛇が道成寺の高僧の夢に現れ語りだした。「私は鐘の中に隠れていた僧です。女家主は毒蛇になって私を支配し、夫としました。私の身は穢れ苦しんでいます。私は力が無いため苦しみから抜け出せません。私たち二匹の蛇のために祈り、苦しみを取り除いてください。法華経の力を使う他に、苦しみから抜け出すことが出来ません」高僧は目を覚ますと多くの僧を集め、二匹の蛇の苦しみを取り除く祈りを捧げました。

その後、高僧の夢に女家主と若僧が現れました。二人は喜んでいる様子で高僧を礼拝すると「貴方の御蔭(おかげ)で私達は蛇の体を捨てて善所に生まれることが出来ました。」女家主は忉利天(とうりてん)、若僧は都率天(とそつてん)という別々の天界に生まれることが出来たと言った。そう告げ終わると二人は別れて天に昇り、高僧は夢から覚めた。

今昔物語集とは

「今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)」は作者不明の説話集。「今昔物語集」には、「今昔物語集」を著作編成した事情が記載されていないため、正確な成立年は分かっていません。推定では平安時代末期(1120年代以降)にされたと考えられています。

題名の由来

「今昔物語集」という題名は、とりあえず呼ばれている通称名。ほとんどの話の書き出しが「今ハ昔(「今ではもう昔のことだが」の意味)」から始まっているため「今昔物語集」と呼ばれるようになりました。

ちなみに、多くの話の結びの句は「トナム語リ傳へタルトヤ(〜と、語り伝えられているという)」で終ります。

内容

「今昔物語集」は巻第一から巻第五までのインド(天竺)部、巻第六から巻第十までの中国(震旦)部・巻第十一から巻第三十一までの日本(本朝)部の三部構成で制作されています。

「今昔物語集」の経歴

「今昔物語集」の名前が確認できる一番古い記述は、室町時代の僧「経覚(きょうかく)」が1449年7月4日に書いた日記(2022年現在)。

現在、国宝に指定されている「今昔物語集」は写本で、京都大学付属図書館に所蔵されています。江戸時代末期、京都吉田神社の神職だった鈴鹿連胤(すずかつらたね)が「今昔物語集」を奈良県で入手したものを、鈴鹿家の子孫が京都大学附属図書館に勤めていた縁で寄託(きたく)、1991年に寄贈(きぞう)され現在に至ります。1996年に国宝に指定されました。

国宝「今昔物語」は、鈴鹿家が所蔵していたことに由来して「鈴鹿本(すずかぼん)」と呼ばれています。

<参考>