【日本国家】「君が代」【日本の豆知識】

この記事では国家「君が代」についてまとめています。

歌詞「君が代」の歴史

日本の国歌「君が代」は世界で最も古く短い国歌の一つといわれています。そんな「君が代」の歴史を調べてみました。

歌詞「君が代」の初出は古今和歌集

「君が代」の初出(初めて現れたの)は、905年平安時代中期に天皇に差し出された「古今和歌集」に記載された和歌でした。(古今和歌集巻七賀歌巻頭歌、題知らず、読人知らず、国歌大観番号343番)。ただし「我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」と歌われており、和歌の初句が「我が君」になっているという違いがあります。

初句が現在の歌詞「君が代」で書かれた最古の本は和漢朗詠集

文書で現在の「君が代」と完全一致している最古の書物は、1013年平安時代中期に成立した「和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)」の後世の版本で、「君が代」の初句が多く見られる。「和漢朗詠集」の古い写本では「我が君」が初句に使われている。

ちなみに「我が君」から「君が代」に変化したのは平安時代末期頃という説があります。

<歌詞「君が代」>

君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
こけのむすまで

<「君が代」の意味>

一般的に「君が代」は祝賀の歌で、この歌を受ける者の長寿を祝う歌だった。「君」は「祝賀を受ける人」を指している。

「さざれ石のいわおとなりてこけのむすまで」とは、「小石が成長して大きな岩になり、その大きな岩に苔が生えるまで」の意味。つまり「君が代」は、限りない悠久の年月を歌で表現したものです。

鎌倉時代に歌詞「君が代」が庶民に広まる

1100年代末から1300年代前半の鎌倉時代になると一般的に「君が代」は、賀歌(がか・祝いの気持ちを表した歌)以外に「宴会の最後の歌」や「お開きの歌」、「舞納め歌」として使われ、以降急速に庶民に広まっていきます。そして様々な作品に使われていきました。

「君が代」が使用された作品を御紹介します。

曽我物語と義経記などの文学作品に使用されてきた歌詞「君が代」

原初形態が1200年代から1300年代鎌倉時代の中期から後期にかけて成立されたとされる「曽我物語(そがものがたり)」、1300年代南北朝時代から室町時代初期に成立したと考えられている「義経記(ぎけいき)」では登場人物が「君が代」を舞う様子が書かれています。

小唄や盆踊りなどの庶民の歌として使用されてきた歌詞「君が代」

「君が代」の歌詞は、安土桃山時代から江戸時代の初期にかけて祝いの歌としての小唄や長唄、盆踊りや浄瑠璃(じょうるり)などに用いられ、庶民層に普及していった。

歌詞「君が代」に曲が付き、現代の国歌「君が代」が完成

世界の国歌の歴史

世界で国歌が誕生したのは15~16世紀以降の近代西洋の時代だといわれています。ヨーロッパ諸国で誕生した当時の国歌は、外交儀礼上の場で披露するために作られました。ちなみに最も古い国歌の一つはオランダの国歌「ヴィルヘルムス・ファン・ナッソウエ」で歌詞が15番まであり、現在は1番と6番のみ歌われています。

曲だけの国歌もある

世界の中では曲だけの国歌があるそうです。2022年現在ではスペインの国歌「国王行進曲(こくおうこうしんきょく)」、コソボ共和国の国歌「ヨーロッパ」、サンマリノの国歌「共和国国歌」などです。

最初の国歌「君が代」はイギリス軍楽隊長が作曲

日本が開国した1854年頃には、世界的に国歌は外交儀礼上欠かせないものになっていました。けれども日本には国歌はありませんでした。

1868年、横浜のイギリス大使館護衛部隊の隊長教官ジョン・W・Fが来日し、翌年の1869年に日本に国歌が無いことが気になり練習生を通じて「国家か儀礼音楽を設けるべき」と上の者に申し出た。そしてジョン・W・F自身で作曲したいとも申し出た。この申し出が歌詞「君が代」が国歌として歌われるようになるキッカケになりました。

けれどもジョン・W・Fが作曲した「君が代」は当時の楽長等には威厳(いげん)を欠くと言われ、西洋的な旋律に馴染めなかった当時の人々間にも普及することはありませんでした。その後ジョン・W・Fの礼式曲は廃止され、1877年に任期を終えたジョン・W・Fは帰国していきました。

「君が代」が国歌の歌詞に選ばれた経緯に二つの説

ジョン・W・Fが日本で初めての国歌を制作しようとしたときに歌詞「君が代」が択ばれた経緯に二つの説が伝えられています。

<「君が代」が択ばれた説その1>

当時の薩摩藩砲兵大隊長の大山弥助(大山巌)が他二人と相談した結果、薩摩琵琶歌(さつまびわうた)の「蓬萊山(ほうらいさん)」のなかにある「君が代」を歌詞に選びジョン・W・Fに紹介した。

<「君が代」が択ばれた説その2>

澤鑑之丞(さわ かんのじょう・日本の海軍軍人)が当時ジョン・W・Fの接遇(おもてなし)係の一人だった原田宗介(はらだ むねすけ)からの伝聞として伝わっている話。ジョン・W・Fの意見を軍上層部に問い合わせると、取り合ってもらえず接遇係に対応が任(まか)された。このとき「英語に堪能」という理由で静岡藩から選ばれた「乙骨 太郎乙(おつこつ たろうおつ)」と他数名が、大奥の正月の儀式で使用された古歌を提案し、この歌をジョン・W・Fに伝え「君が代」が歌詞として使用されることになったという。

法的に国歌に定められた改訂版「君が代」

ジョン・W・Fが帰国する1年前の1876年に当時の海軍楽長が海軍省軍務局長宛に「君が代」楽譜を改訂する上申書を提出し、海軍楽長の意見が聞き入れられた。

「君が代」楽譜を改訂する方向で検討された結果、フェントンの礼式曲廃止後、「海軍楽長・陸軍楽長・宮内省伶人長(雅楽を奏する人の長)・前年来日していたドイツ人のフランツ・E海軍軍楽教師」が楽譜改訂委員に任命される。

林廣守が作曲し、フランツ・Eが西洋風和声を付けて吹奏楽用に編曲した改訂版「君が代」は、礼式曲としての地位が定まっていったが当初は国歌と認められなかった。

1999年、「国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌法)」が成立し、「君が代」は法的に認められた国歌になりました。

その他の「君が代」

上記以外にも過去に歌われていた「君が代」が存在します。

最初の唱歌の教科書「小学唱歌集 初編」

1882年に刊行された最初の唱歌の教科書「小学唱歌集 初編」に掲載されている「君が代」は、現在の国歌「君が代」とは歌詞が若干異なっています。当初「小学唱歌集 初編」の「君が代」は小学校で教えられていたことがあったそうです。

「小学唱歌集 初編」の「君が代」は、「サミュエル・ウェッブ1世が作曲した【Glorious Apollo】に歌詞【君が代】と他の言葉を挿入して作られた」という説があります。

<「小学唱歌集 初編」の「君が代」>

<サミュエル・ウェッブ1世が作曲した【Glorious Apollo】>

ラッパ譜「君が代」

1885年、陸海軍の通達により221曲が儀式や号令に使うラッパ譜として定められ、その中にラッパ譜「君が代」も含まれていた。現在、ラッパ譜「君が代」は海上自衛隊だけに受け継がれているそうです。

<ラッパ譜「君が代」>


<参考>