こんにちは。この記事はYoutubeチャンネル「ほっかいどう犬子」関連記事です。
これまでの話・仕事編
2022年末、数度目のクビになる
2022年12月12日17時半頃。自転車で自宅に向かっている途中、派遣の営業さんから電話がかかってきてクビを報告された。営業さんの話によると、仕事が減ったためによる派遣切りなのだそうだ。2023年01月10日で辞めて欲しいと言われたらしい。
翌日、私の他にもアルバイトで数か月前に働き始めた65歳の男性、渡辺さんも同年12月9日にクビになったと知った。
会社の状況や、私ももう51歳なので年齢的にも最初にクビの対象にされても仕方ないと思って諦めた。
年が明けて2023年1月5日8時少し前、朝礼前に同じ派遣会社の女性、大滝さんと新年のあいさつをした。私は場を暗くしたくなかったので笑いながら「あと3日しかいないけど、よろしくお願いします」と大滝さんに行った。
そのときの様子を社長に見られたらしく、朝礼後に呼び止められ叱られた。「工場の中でクビにされたとかいうな、そんなことを言ったり、忘年会に出なかったりするから目を付けられるんだぞ!」と40代半ばの社長に怒鳴られた。
「ああ、忘年会に出席しなかったことを根に持ってクビにしたのか」と、このとき初めてクビにされた本当の理由を知った。
そのときの派遣先は佐藤工業という自動車部品を製造する町工場だった。私の仕事は部品を製造する機械から出る金属のゴミの選別で、一日中、歩き回って油まみれになる仕事をしていた。
仕事が終わると石鹸で2回以上洗わないと取れないくらい体中が油まみれになり、座るとしばらく立ち上がれないくらい足が疲れ切っていた。そのため仕事終わりに開催される忘年会などにはとても出席なんて出来ない状態になるので、毎年の忘年会は全て欠席してきたのだけれど、社長はそれが気に食わなかったらしい。
新しい派遣先の理想と現実
50歳を過ぎることで仕事面が厳しくなることは覚悟していた。実際、若い頃していた工場の目視検査は視力悪化のためできなくなり、50歳を過ぎて初めてもらった5枚の求人用紙の内容はピッキングと掃除に変化していた。
現在、住んでいる団地が建て替えのため来年1月までに退去することになっているためお金が必用なので、求人のなかで一番、時給が高いピッキングの仕事を選んだ。このとき「ようやく金銭的に安定できる」と安心した。
けれども実際に働くと、初日から労働時間約4時間で帰宅させられた。しかもそれがほぼ毎日続いた。これでは時給が高くても月10万も稼げない。こんなことなら今のピッキングの仕事は選ばなかった。
このままでは生活できないので他にも仕事をすることにした。そしてアルバイト求人を探し始めた。
仕事探し開始
様々なアルバイト求人を探しまくった結果、昨日は魚卸業のアルバイト面接を受けてきた。他にも希望者がいると言われたので、この仕事先は諦めている。
他には火曜日にクリーニングの現場見学に行く予定になっている。面接希望の電話をしたときに工場見学をしてから面接するか決めて欲しいと言われたので、キツイ仕事なのかもしれないと思った。
現在の状況
基本的に身動きせずジッとしていたい性分なので、最近、昨年末に突然クビになってから始まった仕事探しのためにストレスが溜まってきたのを感じている。
私には家族や友達がいないので、誰にも愚痴を話すことが出来ない。なのでその代わりに愚痴動画を作って投稿しようと思った。そのための動画とYoutubeチャンネルを作るのに1日半かかってしまった。
早くアルバイト先を決定して安定した生活を送りたいと心底思っている。