動画元:BGMの大切さが分かる動画
動画投稿者:aka9torres
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動画を記事にした理由
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管理人は小学生の頃、時代劇が好きで帰宅後に時代劇の再放送を観て過ごしていました。
管理人が観ていた時代劇の一つが水戸黄門で、その当時の水戸光圀公役は東野英治郎でした。
水戸黄門の時代劇で育ってきた管理人にとってこの動画は、懐かしく感じるものでした。
そのため、自分のブログに書き残しておこうと決心したのです。
動画を観て思ったこと。
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BGMは作品作りに大変、影響を与えるものだと実感しました。
動画では、同じ場面に違うタイプのBGMを流したものを、何パターンか集めてあります。
同じシーンでもコミカルなBGMを使用するとコミカルなシーンに感じ、悲しいイメージのBGMを使用すると悲しいシーンとして感じてしまいました。
水戸黄門について
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管理人は時代劇で水戸黄門を観てきただけなので、詳しい情報を知りません。
そこで少しだけ水戸黄門について調べてみました。
1. 水戸黄門という名称について
2. 「水戸黄門」という名称について
1. 水戸黄門という名称について
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水戸黄門という名称は、権中納言で江戸時代の水戸藩主「徳川光圀(みとみつくに)」が別称として呼ばれていた名前です。
また、水戸光圀を主役にした創作物語の名称を指す言葉としても使用されています。
水戸光圀を主役にした創作物語の内容は、隠居した徳川光圀が日本各地を漫遊して世直しをしていく(勧善懲悪)というもの。
水戸光圀は、庶民の間で名君として知られていました。
そのため、水戸光圀公を主役にした「水戸黄門」という創作物語が作られたようです。
水戸黄門の話の流れは、創作された当初から現在の時代劇「水戸黄門」と同じだったみたいですね。
2. 「水戸黄門」という名称について
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水戸黄門の物語が創作された時代、現在の日本よりも身分制社会の規制が厳しく取り締まわれていました。
そのため「水戸光圀公」という名前を使用することができず、苦肉の策として水戸黄門という名称を使用したのではないでしょうか。
水戸光圀は、徳川御三家の一統である水戸藩の藩主で、武家官位として権中納言を名乗っていました。
唐の国(昔の中国)で、「中納言」と同等の役職は「黄門」と呼ばれていました。
藩名の「水戸」、中納言の唐名「黄門」を組み合わせて「水戸黄門」になったようです。
まとめ
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この記事で御紹介した動画で、BGMが人に強い影響を与えることを体感できました。
そして、この記事では水戸黄門について少しだけ調べてみました。
管理人としては、子供の頃から知りたかった「水戸黄門」の名称の由来を知ることができたので嬉しかったです。