「富士山記」現代語訳あらすじ(都良香:著)

この記事は、現代語訳「富士山記(ふじさんのき)」を簡単に編集したものです。

富士山記のあらすじ

富士山は駿河の国(現在の静岡県東部および中部にあった国)にある。峯(みね)は削ったように真っ直ぐに聳え(そびえ)て天に続いている。その高さは測ることが出来ない。歴史の書物を漏れなく見ても、この山より高い山は無い。

その聳える(そびえる)峰は高く盛り上がり、見ると天の一番端にあって海中を遠くから眺め見ている。その霊妙な麓(ふもと)が横たわり続く所を見ると、数千里の距離がある。旅する人は数日をかけて富士山の麓(ふもと)を通り過ぎる。麓を通り過ぎ終わった頃に振り返ると、それでもまだ富士山の麓(ふもと)にいるのだった。考えてみると、富士山は神や仙人が集まって遊ぶ場所なのだろう。

平安時代の834年から848年の間に富士山の峰から美しい石が落ちてきた。それには小さな穴が開いていたという。

また、875年11月5日、役人と人民が古い仕来り(しきたり)に従って(したがって)御祀りを行った。昼時になると空は非常に美しく晴れた。顔を上に向けて山の一番高い所を見てみると、白い着物を着た二人の美女が、山の頂上より約30センチメートル上のところに浮かんで並んで舞っていた。古老が土地の人も一緒に見たと語っている。

山を富士山と名付けたのは、駿河国(静岡県)にあった富士郡の名から取ったものだ。富士山には神がいる。「浅間大神(あさまのおおかみ)」という名前が付けられている。

富士山の高さは、頂上は雲まで届いているので計り知ることが出来ない。頂上に平地があり広さは約4キロメートルある。その頂上の中央は窪みがあり穀物を蒸す容器のようだ。その容器の底に神秘的な池がある。石の形は奇妙だ。まるで蹲る(うずくまる)虎(とら)のようだ。また、その容器の中には常に蒸気が出ている。その色は純粋に青い。

その容器の底を覗く(のぞく)と湯が湧き上がっているようだ。遠くから見ると常に煙と火が見える。また、その頂上の池の周りに竹が生えている。青紺色で柔らかく弱い。

春や夏でも残雪は消えず、富士山の腰より下には小松が生えている。富士山の腹より上は木が生えていない。山は火山噴出物の灰色の岩片で出来ている。富士山に登る者は山の麓(ふもと)に止まって上に登ることが出来ない。火山噴出物が流れ下ってくるからだ。

言伝えによると昔、役行者(えんのぎょうじゃ)という人がいて富士山の頂上に登ったそうだ。その後に登る者は皆、山腹に額をつけるように攀(よ)じ登っている。

富士山には大きな泉があり、山の麓から湧き出て大きな川になっている。その流れは寒いときも暑さいときも、洪水や日照りのときも何も変わらない。

富士山の東の麓に小山があり、土地の者は「新山(にいやま)」と呼んでいる。元々は平地だった。801年3月に雲や霞が立ち込め、10日間で山ができたという。思うに神が山をつくったのであろう。

富士山記について

「富士山記(ふじさんのき)」は平安時代の富士山頂の様子を記したものです。「富士山記」は「都 良香(みやこ の よしか」が作った詩歌作品の一つです。「富士山記」には富士山の姿形や登山の様子の他に、富士山に関する不思議な出来事も記されており、当時から富士山が神聖な場所としてみられていたことが分ります。

著者について

「富士山記」の著者「都 良香(みやこ の よしか)」は平安時代の834年に誕生し879年に46歳で他界した貴族の男性です。当時の官僚育成機関「大学寮(だいがくりょう)」で官僚候補生の学生に漢文学や中国正史を教えていた人物。「都 良香(みやこ の よしか」はその他に詩歌作品の制作もおこなっております。

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