アプスー・シュウセイ(Apsu Shusei)【実話怪談】

この記事では文様作家で実話怪談師のアプスー・シュウセイさんについてまとめています。

本名と現在の「Apsu Shusei」という名前について

アプスー・シュウセイさんの本名は寺本 秀成といいます。

Apsu Shuseiの由来

1997年発売のRPGゲーム”女神転生 デビルサマナーソウルハッカーズ”に出てくるボスキャラの一人「アプスー」からとったそうです。

<カードより>

「シュメール伝承に伝えられる、神格化された混沌の甘い淡水。宇宙の始まりから存在した神。子孫の神々が起こした騒ぎを鎮めようとしたところ、逆に子孫のエア神に殺される。」

本業である文様制作で様々な作品を作り出していくことと、「多数の神々を生み出した」というゲームキャラ設定が似ていることが、「Apsu」という名前を気に入っている理由の一つなのだそうです。

「Apsu」の後ろに「Shusei」をつけた理由は、当時「Apsu」で検索すると外国の大学などが表示したため、他の「Apsu」と区別するため「Apsu Shusei」と名乗るようになったようです。

<参考>

出生と家族について

アプスー・シュウセイさんは1985年3月8日、大阪高槻市で産まれました。父親がアプスー・シュウセイさんが母親のお腹にいる頃に「日本が嫌だ」と言い残して家を出てスペインに行ってしまったため、母親はアプスー・シュウセイさんを出産後に精神不安定になってしまいます。

産まれて間もないアプスー・シュウセイさんは、母親の精神が安定して一緒に大阪の高槻市で暮らせるようになるまで祖父母に育てられていました。

<大阪高槻市>

上記のような事情から、子供時代のアプスー・シュウセイさんは母・兄・アプスー・シュウセイさんの三人家族で過ごすことになります。

アプスー・シュウセイさんが30歳を過ぎた頃、父親がスペインから帰国し大阪でピザ屋を経営しているという話を聞き、会いに行きました。

アプスー・シュウセイさんが母親のお腹にいた頃に父親が家を出て行ったので、この時に初めて父親と出会うことになります。

アプスー・シュウセイさんは出会ってすぐに父親と会話をする中で、父親を許せてしまったそうです。

父親との会話中に、東京でSeii(セイ)という名前でモデルなどの活動をしている腹違いの弟がいることを知ったアプスー・シュウセイさんはコンタクトをとり、現在は仲が良くなったようで、二人で並んで写っている画像がアプスー・シュウセイさんのInstagramやtwitterに何度も投稿されています。

結婚について

アプスー・シュウセイさんのInstagramに息子さんの「宗成(そうせい)」君を抱いている画像が投稿されているので、結婚経験はあるようです。現在の結婚関係の情報は見つけられませんでした。

この投稿をInstagramで見る

apsushusei(@apsushusei)がシェアした投稿

学生時代

アプスー・シュウセイさんは私立中学を受験し、仏教系男子中学校に合格進学します。けれどもアプスー・シュウセイさんの家庭が片親であることが原因で同級生からイジメられ、先生からは差別的な扱いをされるようになります。

そのような状態が続いたままエスカレーター式に高校生になったアプスー・シュウセイさんは高校1年の途中で高校を中退し、四国でお遍路さんをする資金を稼ぐためアルバイトを始めました。

四国巡礼開始から現在まで

四国巡礼

アルバイトで15万円前後の資金を貯めた16歳のアプスー・シュウセイさんは9月に四国に渡り、「蚊に刺されることが少なくなるだろう」との考えから10月に歩き遍路で四国巡礼を始めます。アプスー・シュウセイさんは12月に旅を終えるまで野宿しながら毎日約35キロメートル前後歩き続けました。

そんな生活を送るうちに身も心も疲れ切っていたアプスー・シュウセイさんは四国巡礼中に不思議体験をすることになります。

<四国巡礼中の不思議体験その1>

  • 四国巡礼開始1週間後のこと、徳島県の焼山寺山(しょうさんじやま 標高938メートル)を登山中に体力が尽きてしまい山道で倒れてしまいました。そのときに遠くから何百人もの般若心経を唱える声が聞こえてきた。すると疲れが感じられなくなりナチュラルハイ状態にまでなり、身を起こして目的のお寺まで早足で行くことが出来ました。

<四国巡礼中の不思議体験その2>

歩き遍路さん用に用意されている無料で泊まれる宿「善根宿(ぜんこんやど)」に泊まったときのこと。宿の中で食事をしていると、外で錫杖(しゃくじょう)の鈴が鳴っているのに気が付いた。鈴の音は宿の周りを回り続けている。宿に泊まっていた他のお遍路さんに止められながらアプスー・シュウセイさんが扉を開けると鈴の音が止まった。

四国から屋久島へ直行

四国巡礼を終えたアプスー・シュウセイさんは、四国から鹿児島県にある屋久島(やくしま)へ直行します。屋久島での生活は、近くの漁師の手伝いをしてお金を貰いながら村営の1泊300円で泊まれた山小屋や、木に出来た穴の中で寝泊まりして半年ほど続けました。

屋久島での生活中、アプスー・シュウセイさんはファンだった歌手Aに偶然出会い、知り合いになることが出来たそうです。

屋久島から東京へ移動

屋久島から東京に来たアプスー・シュウセイさんは、偶然に入店したバーが求人募集中で働かせてもらえることになりました。それと同時にキャバクラのボーイの仕事も掛け持ちすることにしました。

東京では屋久島で知り合った歌手Aに食事を奢ってもらったり、歌手Aの引っ越しの手伝いをしたりと付き合いが続いていました。

ある日、歌手Aに「文様を描く才能があるから続けるべきだ」と言われ、アプスー・シュウセイさんは文様を描く仕事をしようと決心します。

文様作家と怪談会

アプスー・シュウセイさんは文様を描いた靴の販売開始で、文様作家としての活動をスタートさせました。アプスー・シュウセイさんの作品は口コミで多くの人に広がっていき、営業活動無しで仕事が来るようになっていきます。

この投稿をInstagramで見る

apsushusei(@apsushusei)がシェアした投稿


仕事で忙しくなると同時に、当時していた音楽活動が出来なくなったアプスー・シュウセイさんは、音楽活動のかわりに怪談会を始めました。

文様作家と怪談会の活動の中で多くの出会いがあり、現在ではその関係で企業コンサルタント・クラフトビールのプロデューサーなどの新ジャンルの仕事を手掛け続けています。

アプスー・シュウセイさんの情報

関係サイト
facebook
twitter
Instagram

<参考>