「西浦和也」【実話怪談】

経歴

1967年4月12日に誕生。本名「飯高慎也(いいたか しんや)」

1987年頃アニメーション制作会社に入社し「聖闘士星矢」などを担当。

1994年頃から心霊関係の活動を開始。勤務していた警備会社で体験した心霊経験や、現場で発生したという不思議な現象の記録を始める。

1997年頃インターネット上にホームページを作成し、それまで記録してきた不思議な話を投稿していくようになる。

2006年単行本ルナティックウォーカー「北野誠怪異体験集 おまえら行くな。」 (マイクロマガジン社)の企画に参加。

2007年西浦和也さん一人で書いた著書「虚空に向かって猫が鳴く 百鬼蒐集録」(竹書房ホラー文庫)発売

2008年頃から「北野誠のおまえら行くなシリーズ」に参加。

以後、様々な心霊関係の企画に参加し活躍する。

<西浦和さん関係のサイトその他>

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専門学校の講師としても活躍中

西浦和也さんは過去に、ゲーム企画制作販売している「株式会社ディースリー・パブリッシャー」や「株式会社メトロ」で勤務した経験から、現在、ヒューマンアカデミーゲームカレッジの講師もしています(2022年3月現在)。

<参考>ヒューマンアカデミーゲームカレッジ「講師紹介」

名前「西浦和也」になった理由

昔、西浦和也さんは漫画を描いてコミックマーケットに参加していました。当時は「西浦和珍八(にしうらわ ちんや)」というペンネームを使用していました。

様々な人がインターネットで活動し始めた時期、西浦和さんもインターネットで活動を始めようとしたのですが、当時、利用していたサイトで使用するハンドルネームに「ひらがな5文字」という文字数の制限があり「にしうらわ」を使い始めたそうです。

「にしうらわ」で活動中にインターネットを利用してオカルト関係の活動をしていた人たちの間に知られるようになっていき、ライターデビューする機会に恵まれました。

その際「読み方は同じで人の名前だと分かるように変えて欲しい」と言われてしまいます。考えた結果、現在使用している「西浦和也(にしうらわ)」に変更しました。

ちなみに西浦和也さんは「八田ゐあん」と「堀之内豆豊」の別名義でも活動されています。

代表作

獄の墓

西浦和也さんの高校時代の先輩の月夜野夜香さんに関したお話です。

<月夜野夜香さん関係のサイトなど>

月夜野さんは後輩だった西浦和さんを様々な曰く付きな場所に連れて行ってくれたそうです。それは月夜野さんが高校を卒業するまで続きました。

月夜野さんが高校卒業してからは疎遠になってしまった二人でしたが、数年後、西浦和也さんがサイトを作り、それをみつけた月夜野さんが西浦和也さんに連絡し、十数年ぶりに再会することになります。

このお話は、月夜野さんが亡くなるまでに西浦和也さんが体験した実話怪談です。

迎賓館

西浦和也さんが警備会社に勤めていた頃に経験したお話です。営業課長として働いていた西浦和也さんは曰く付きの現場を押し付けられることが多かったそうです。

昔、某鉄鋼会社が、四谷に所有している古い一軒家を壊してコンサートホールを造る計画を立てました。けれども古い一軒家は明治初期に建築された和洋折衷のモダンな建物で、文化的価値もありそうだということで渋谷の空いている土地に移築することになりました。

工事が始まってからすぐに、西浦和也さんの警備会社から派遣されていた警備員たちが霊現象を体験するようになり次々に辞めていくため、西浦和也さんに警備会社から声がかかり、迎賓館に関わることになったという。

これは迎賓館解体から霊現象がおさまるまでの、西浦和也さんが実際に体験したお話です。

青い家

数年前、西浦和也さんがイベントに顔を出していた時期がありました。そのとき、イベントに参加していたお客さんから「私の家の近くに青い家という心霊物件があるんです」と言われ、興味をもった西浦和さんは青い家の情報を集め始めます。

この不思議な話は昔、道路をつくるために区画整理がおこなわれ立ち退き命令をされた家族が、以前、墓地だった場所に家を建て移住したことから始まります。