「中山市郎」【実話怪談】

この記事では実話怪談師の中山市郎さんを御紹介します。

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中山市郎さんの経歴

出生から学生時代まで

中山市郎さんは1959年生まれ。兵庫県の北中部にある朝来市(あさごし)出身です。

<朝来市について>

朝来市は山に囲まれた自然豊かな地域で、古墳や竹田城跡などの歴史的価値のある遺産や神社仏閣などが多数存在しています。

高校卒業後、映画監督になるため大阪芸術大学に入学し映像計画学科で映画製作について学びます。

大学生時代のエピソード

大学卒業間近になった1982年の夏頃、中山市郎さんは卒業作品制作のため兵庫県内の実家で寝泊まりしながら撮影を始めました。そのときに中山市郎さんの代表作の一つになる「山の牧場」を発見したそうです。

<「山の牧場」とは>

卒業作品制作用の撮影がほぼ終了しほとんどのスタッフ要員の仲間が大阪に帰ったあと、監督の中山市郎とカメラマン役、記録係の三人で未撮影部分を撮影するためA山へ登り始めた。

中山市郎さんの友人が運転する車で移動していた4人は途中で舗装されていない道をみつけます。一行がその道を登っていくと、その終点には使われた形跡の無い古びた牧場があった。

目の前に現れた牧場に興味を惹かれた4人は牧場内を探検するべく侵入を開始していき、そこから数々の不思議な体験をしていくのでした。

大学卒業後から現在まで

1982年から1989年まで「映像関係で活動」

1982年に大阪芸術大学を卒業した中山市郎さんは映画監督になるという夢を叶えるため、助監督として映画製作に参加します。

また、1984年には映画製作の企画提案をおこなったり、実際に自分でビデオ取材をおこない、そのとき撮影した動画をテレビ番組に使用するなど映画や映像関係の仕事を中心に活動していきました。

1990年から現在まで「作家と放送作家として活躍」

1990年になると中山市郎さんは扶桑社出版「新・耳・袋~あなたの隣の怖い話」で作家としてデビューします。この「新・耳・袋~あなたの隣の怖い話」は小説家の木原浩勝さんとの共著での出版でした。

<「新・耳・袋~あなたの隣の怖い話」について>

この本は主に体験談と推測されるもののみを収録したそうです。体験談のみをまとめた本が発売されたのはこの本が初めてらしく、この本の発売と共に「実話怪談」という分野が誕生したともいわれています。

「新・耳・袋~あなたの隣の怖い話」は1990年に初出版後、1998年に別会社のメディァファクトリーから「新耳袋~現代百物語 第一夜」として再び出版され、全部で第十夜までのシリーズものとなります。

このときに多くの人たちに知られるようになった「新耳袋」は、その人気のため最終的に映画化やドラマ化もされました。中山市郎さんはそのときに夢だった監督デビューを果たすことができたそうです。

「新・耳・袋~あなたの隣の怖い話」の出版と同時期にテレビ番組の構成やパーソナリティー、放送作家などもおこなうようになり活動の幅を広げていきました。

その後も長編実録怪談本など「新耳袋」とは趣の違う怪談本を数々出版、宗教やオカルトを主題とした講演、怪談会開催など様々な活動をおこなっています。

個人的に好きな中山市郎さんの作品三選

数ある中山市郎さんの実話怪談の中で管理人が好きなお話を三つ御紹介します。

神社の跡地に

中山市郎さんの知人が不動産屋をされている方と知り合いになり「事故物件ってあるんですか?」と質問してみた。

不動産屋「そりゃあ、あるよね」
知人「それってあれですか?殺人事件があったとか、自殺があったとか…」
不動産屋「それもそうなんだけど、もっとこわいのあるよ」
知人「なんですか?」
不動産屋「神社の跡」

そう言うと不動産屋は神社の跡地に建てられた家に住んだ人たちの怪現象について語りだした。

管理人の感想

このお話は、神様に気軽に関わってはいけないという教訓が含まれたお話です。普段、神様のことを「人を守ってくれたり、願いを叶えてくれる優しい存在」と思いがちですが、それは幻想で本当は恐ろしい存在なのだなと再認識させてもらえるお話だと思いました。

16歳までしか生きられない

Kさんは修験道の信仰が残る山がある地域の集落に生まれ育ちました。Kさんが通っていた学校には遠くからスクールバスで登下校する数人の子供たちも通っていました。

その中の一人にヨシキ君という男の子がいました。ヨシキ君はKさんのクラスメイトで「オレ、16歳まで生きられないんだ」と口癖のように言っている子供だったそうです。

Kさんとヨシキ君は小中学校と一緒でしたが、高校進学のときにKさんは普通科の高校に進学、ヨシキ君は農業系の高校に進学することになり、高校進学後は会うこともありませんでした。

Kさんが高校3年生のとき、駅で農業系の高校に進学した旧友出会ったので久しぶりに話に花を咲かせていたのだが、そのとき旧友の一人がKさんにヨシキ君について話し始めた。

旧友「ねえねえ、ヨシキ君って覚えてる?」
Kさん「あっ、覚えてる覚えてる、なんか16歳までに死ぬって言ってたよね」
旧友「あの子、死んだよ」
Kさん「えっ⁉いつ?」
旧友「16歳になる誕生日の前日に亡くなったの」

旧友によるとヨシキ君の死因は分からないらしい。でも旧友の両親がヨシキ君の葬式に出席したからヨシキ君がなくなったのは確実だという話だった。

その後、Kさんは大学進学のために都会に出て、そのまま就職・結婚し故郷に帰ることはほとんどなかった。

そんなKさんが久しぶりに故郷に帰ったとき旧友たちが歓迎会を開いてくれ、その中のメンバーにヨシキ君のお姉さんがいた。Kさんはヨシキ君のお姉さんに衝撃的な事実を聞かされることになるのだった。

管理人の感想

この話を聞いたとき、テレビドラマを見ているかのように情景が思い浮かんできました。そのくらい中山市郎さんの話術が凄いのだと思います。

そしてこの怪談の内容も悲劇的過ぎて、何度もこの怪談を聞いているのにこの怪談を聞いた後は、あまりのことにしばらく何もできなくなります。

赤ちゃんを亡くした母親

Aさんが医師になって1年にもならない頃の話。Aさんは総合病院の救急救命センターで働いていました。

ある日、Aさんが働く救急救命センターに事故に遭ったお母さんと赤ちゃんが救急車で運ばれてきます。

赤ちゃんは既に亡くなっている状態で、お母さんは数か所骨折している様子だけれど意識はハッキリしている状態だったらしい。

そのときの新人のAさんの仕事は、お母さんに声をかけることだった。「大丈夫ですか?大丈夫ですか?」Aさんは必死に声をかけたがお母さんは一点を見つめたまま動かなかった。

その状況の中に救急救命センターの部長がやってきた。部長はお母さんから少し離れたところで申し送り書を見ながら「ああダメだよ、チャイルドシートしないからこういうことになるんだよ」と言った。

するとお母さんは救命センターの人たちが目を離したすきに立ち上がって階段を駆け上がっていき4階の窓から身を躍らせた。それから半年が過ぎた頃、部長がA君におかしなことを言ってくるようになった。

管理人の感想

この話はとても切なく感じました。そして誰に対しても言葉遣いは気をつけようとも思わせてくれた話でした。無意識にでも人の気持ちを傷つけると自分に返ってくるという教訓が含まれているように思いました。

中山市郎さんのサイト・その他

サイト
ブログ
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<参考>